2010年11月30日火曜日

比翼の鳥 連理の枝

朝夕のことぐさに、羽を並べ枝をかはさむと契らせたまひしに、かなはざりける命のほどぞ尽きせずうらめしき
中国で「比翼の鳥」という言葉があって、現実界でない世界に住む鳥、オスメスがそれぞれ一翼づつで合体して飛ぶという鳥、長恨歌にの一節で、「天にあらば願はくは比翼の鳥たらむ、地にあらば願はくは連理の枝たらむ」とある。連理の枝とは二本の別の木の枝が結合して一本になっている木のこと。
朝夕に、いつもいつも一心同体であろうという契りをしたのにもかかわらず、それが今は叶わなくなってしまった命であるのが返す返す恨めしい。

風の音、虫の音につけてももののみ悲しうおぼさるるに、弘徽殿には久しく上の御局にも参う上りたまはず、月のおもしろきに、夜更くるまで遊びをぞしたまふなる。いとすさまじうものしと聞こしめす
風の音、虫の音を聞くにつけても悲しみがよみがえってくるのに、弘徽殿の女御は久しく上にも参上致せず、今日の見事な月夜にかこつけて、夜が更けるまで管弦の遊びをしている。笛の音や琴の音が少し離れた弘徽殿から、風にのって帝のお耳まで届いてくる。遠慮がなく思いやりのかけらもない、その心のすげなさ、冷淡さは、不気味なほどであるとお思いになる。

この頃の御気色を見たてまつる上人、女房などは、かたはらいたしと聞きけり
この頃の帝のご様子を存じ上げているだけに、お仕えしている殿上人や女房などは、聞いていられないと帝のお気持ちを感じるとつらくなってしまう。

いと押し立ち、かどかどしきところものしたまふ御方にて、ことにもあらずおぼし消ちてもてなしたまふなるべし
たいへん我が強く、角が立つ性格でいらっしゃる御人で、なんてことなく、周りで何がおきていようとも心に留めずに日々を過ごされているようなのです。

月も入りぬ
月は西の空から沈んでしまっている

雲のうへも涙にくるる秋の月いかですむらむ浅茅生の宿
宮中でも涙にくれて月もよく見ることができない、それなのに、どうして浅茅生の宿では、月が澄んで見えるだろうか

おぼしめしやりつつ、ともしびをかかげ尽くして起きおはします
長恨歌にも、秋の燈かかげ尽くして未だ眠ること能はず、とあるように
帝は桐壺の里を思い遣りつつ、灯火の火が尽きるまで、そのまま起きていらっしゃる

右近の司のとのゐまうしの声聞こゆるは、丑になるぬるなるべし
丑の一刻(丑ひとつ):午前1時頃からは、左近衛府から右近衛府に警備が交代になる時間で、その申し出の声が聞えているから、丑の刻になったようだ

人目をおぼして、夜の殿に入らせたまひてもまどろませたまふことかたし
まもなく朝を迎える時間帯でもあるので、清涼殿の北側にある寝所にお入りになるが、一睡もできない。

今はた、かく世の中のことをもおもほしすてたるやうになりゆくは、いとたいだいしきわざなりと、ひとのみかどのためしまで引き出でささめき嘆きけり
こんなに世を捨てたようになってゆくのは、先行き不安でもってのほかであると、よその国の朝廷の例まで引き合いに出してはひそひそと嘆きあうのであった。

2010年11月25日木曜日

源氏7歳になる年

月日経て若宮参りたまひぬ
50日がいとまするべき日数であったが、のびのびになっていての何ヶ月が経った頃に若宮は参内した。源氏4歳になる年である。
After several months the youngest prince came to the court .

いとどこの世のものならずきよらにおよすけたまへればいとゆゆしうおぼしたり
この世のものでなくきよらかにご成長なられているので、神に魅入られてしまわないかとのご心配されるほどであった。
He had grown up so brilliantly as to be charmed by a demon .

明くる年の春、坊定まりたまふにも、いとひき越さまほしうおぼせど
年が明けて春、東宮が一の宮に決まったのだが、その時も、年の差をひき越させたいくらいに内心ではお思いになられたのだけれども、
At the next year , the crown prince would be settled , the emperor wish to led this prince to get ahead .

御後見すべき人もなく、また世のうけひくまじきことなりければ、なかなかあやふくおぼし憚りて、色にも出ださせたまはずなりぬるを
 若宮には身寄りもないことで、また世間が納得するようなことでもないので、かえってあやうい立場にもなろうかと思いはばかって、気色にもお出しにならなかったので、
But this boy doesn't have no background to support him and it might not be permitted as a principle ,  the emperor didn't show a bit of the air of his favor to the crowned post .

さばかりおぼしたれど、限りこそあれ、と世人も聞こえ、女御も御心落ち居たまひぬ
あれほど可愛がっていらしたけど、限度はあるものだ、と世間の人々も噂をし、安心したので女御も御心がお静まりになられた。
So , public people said even unlimited affection had a boundary and a mother of crown prince had settled her temper .

今は内裏(うち)にのみさぶらひたまふ
祖母君がなくなられた今は、内裏が若宮の住まいとなる。
In these days , a little prince usually lived in a court since her grand mother died .

七つになりたまへば、ふみ始めなどせさせたまひて、世に知らず聡うかしこくおはすれば、あまり恐ろしきまでご覧ず
七歳になられたので、読書などもし始められて、世に例がないほど聡明でいらっしゃれば、帝はそら恐ろしくまでにお感じになられる。
At the age of seven , the little prince began to learn reading . Everyone was astonished by amazing improvement of his reading , as to be recognized terribly .

今は誰も誰もえ憎みたまはじ 母君なくてだにらうたうしたまへ 
今となっては、誰もこの子を憎むことはできないだろう、母君はないのだから、せめて愛おしんでやってほしい。
It could be impossible for anyone to hate at this boy , please cherish him now that he has no one more his mother .

とて弘徽殿などにも渡らせたまふ御共には、やがて御簾の内に入れたてまつりたまふ
と、弘徽殿にお渡りになるお供の時には、そのまま御簾の中にも入れてしまう。
When the emperor came to the flat named Kokiden where is a mother of the crown prince 's area , sometimes he was accompanied with this little prince who could even enter the special shielded are partitioned by hanging fine meshed curtain .

いみじきもののふ、仇敵なりとも、見てはうち笑まれぬべきさまのしたまへれば、えさし放ちたまはず
猛々しい武士や、仇討ちのかたきであったとしても、この子を見たならば思わず微笑むんでしまうような可愛らしさであるので、弘徽殿の女御であってもこの宮を追い払ったりはできないのだった。
This brilliant shine of the little prince could have comforted ferocious knight or could have made even enemy to ease for smiling .  And even this precious lady could not leave this boy alone .

わざとの学問はさるものにて、琴、笛の音にても、雲居を響かし、すべて言いつづけばことごとしう、うたてぞなりぬべき人の御様なりける
正式にお勉強されている漢学などの学問はもちろんではあるけれども、琴や笛の音についても宮中に響きわたる上手さで、あまりに誉めるたてるところが多すぎて嫌味になりそうなくらいの御様子であります。
Not only standard course of reading , but also learning of Koto or Fue which is made of tree , eastern instrument similar to flute ,  the little prince could produce a fantastic tone which sounded around all over the palace .

2010年11月20日土曜日

高麗人の相人

そのころ、こまうどの参れるなかに、かしこき相人ありけるを聞こしめして
その頃、高麗人が来日していて、人相での占い師にすぐれているものがいるとお聞きになられまして、
Those days of this decade , a lot of foreign person had come to Japan from China . Th emperor heard about predictor who could find a future from reading of one's feature .

宮の内に召さむことは、宇多の帝の御誡めあれば
宮中にお召しになることは差し控えたく、それというのも、宇多の帝がご譲位にあたり醍醐天皇にあたえた心得書のなかに 「外蕃之人必ズ召見ス可キ者ハ簾中ニ在テ之ヲ見ル直対ス可カラズ」 とあったからで、
and so in secretly sent this prince to the Korokuwan where foreign apostle were living because the previous emperor remonstrate the foreigners should not be met for a private talk in the palace .

いみじう忍びて、この皇子をこうろくわんに遣はしたり
そのこともあり、お忍びで、この皇子を七条朱雀にあって外国使臣が住まう館「こうろくわん」というところまでお遣わしになった。

御後見だちて仕うまつる右大弁の子のやうに思はせてゐてたてまつるに、相人驚きて、あまた度かたぶきあやしぶ
皇子を日常お世話していらっしゃる右大弁の子供のように見せかけて連れていかれたところ、相を見るなりびっくりして何度も首をかしげて不思議がっている。
Because this was very secretary event , the prince pretended to be a son of one of liege under the palace ,  the predictor inclined his head to watch the feature of the boy by astonishment .

国の親となりて帝王の上なき位にのぼるべき相おわします人の、そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ
帝王の相があり、この上ない地位にまでおのぼりになる方です。しかし、その過程において乱れ憂うべきことが多くおこりはしないかと心配です。
He has an aspect of a person who could make a foundation of a nation and could rise up to the top of the world , in this aspect , as this boy would get a top position of this nation , I could see what is something disturbing and puzzled .

おほやけのかためとなりて、天の下をたすくる方にて見れば、またその相たがふべし と言う
政の要となって、帝を補佐する役目かといえば、またそのような相でもないようです、と言う。
In another aspect ,  as this boy would be on secondary position of the world to help the emperor and reign the nation as a subject , it would be different something bit from this precious boy .

帝、かしこき御心に、やまと相を仰せて、おぼしにける筋なれば、今までこの君をみこにもなさせたまはざりけるを
帝は、才知に勝っているお考えの方であったので、以前から日本人の相人にも仰せつけられて、考えてもいた事なので、 今までこの君を皇子にもなさらなかったのだけれども
The emperor was wise enough to call for a Japanese predictor beforehand to select his son's future also and had been given a similar conception as this chinese predictor  , and the emperor had hesitated to place this prince on line for his heir .

相人はまことにかしこかりけり とおぼして、
相人は本当にすばらしい と思われて
The emperor admitted and appreciate this predictor as very fine .

無品親王の外戚の寄せなきにては漂はさじ、わが御世もいと定めなきを、
叙位のない親王で、さらに外戚すらなくて、孤立無援に漂わせることはさせたくない、わたしの治世もいつかは終るのだし、
If he remained Imperial register , he doesn't have a background of her mother's lineage and my reign would continue not so long , he would be isolated with no position .

ただうどにて公の御後見をするなむ行く先も頼もしげなめること と思し定めて、いよいよ道々の才を習はせたまふ
皇戚をはなれて、公の陰から助けるというのが、先行きも明るいように思われる と思いを決められて、ますます色々の学を習わせる。
If he descended from Imperial register to be engaged in the significant position of the work in palace , it might be working well , it would be efficient .

才ことにかしこくて、ただうどにはいとあたらしけれど
きわだってかしこくて、皇戚を下られるのは大変にもったいないけれども

皇子となりたまひなば 世の疑ひ負ひたまひむべくものしたまへば、
皇子になってしまうと、あろう事のない疑いも起こるべきことだとすれば、

宿曜のかしこき道のひとにかんがへさせたまふにも、同じさまに申せば、宿曜の占いで将来を見させてみると、また同じような事を申し上げたので、 

源氏になしたてまつるべく思しおきてたり
嵯峨天皇以来、皇子が臣籍へ下ったときに名乗っている源氏の姓をお与えになろう、とお決めになる。

2010年11月15日月曜日

先帝の四の宮

年月にそへて、御息所の御事を思し忘るるをりなし
年月が経つにつれても、今は亡き桐壺の更衣を忘れることがない。

慰むやと、さるべき人々まゐらせたまへど、なずらひに思さるるだにいと難き世かなと、うとましうのみよろづに思しなりぬるに
寂しい気持ちが慰められることもあればと、それなりの人々を宮中に参らせてはいたけれども、代わりになると思える人すら探すのが難しい世の中なので、すべてのことが疎ましく感じられてきていた頃に

先帝(せんだい)の四の宮の、御かたちすぐれたまへる聞こえ高くおはします
先の帝の四の宮で、たいへんご器量がいいと評判の高いお方で、

母后、世になくかしづき聞えたまふを
母親が后様で、この上なく大切にお育てになられたのを、

上にさぶらふ内侍のすけは、先帝の御時の人にて、かの宮にも親しうまゐり馴れたりければ、いはけなくおはしましし時より見たてまつり、今も、ほの見たてまつりて
帝にお仕えする内侍のすけは、先の帝の時から宮中でのお役についていて、四の宮様にも親しくお仕えしていたので、四の宮さまがご幼少の頃よりお目にかかり、今も、ときどきご訪問させていただくこともあるので、

うせたまひにし、御息所の御かたちに似たまへる人を三代の宮仕へにつたはりぬるに、え見たてまつりつけぬに
亡くなられた、更衣様に似ているような方は、三代の帝につたわって宮仕えをして参りましたが、一人もいらっしゃいませんでしたが

后の宮の姫宮こそいとようおぼえておひ出でさせたまへりけれ、ありがたき御かたちになむ
先帝のお后さまの宮様は、お顔が自然に思い出されるほどに似た感じでいらっしゃいます。 めったになく美しくていらっしゃいます。

と奏しけるに、まことにやと御心とまりて、ねむごろに聞えさせたまひけり
と帝に申し上げると、本当かと御心が動かれて、熱心に入内をお勧めになるのだった。

母后 あな恐ろしや 春宮(とうぐう)の女御のいとさがなくて、桐壺の更衣のあらはに儚くもてなされにし例(ためし)もゆゆしう と思しつつみて、すがすがしうも思したたざりける程に、后も失せたまひぬ
母后、なんと恐ろしいことかしら、春宮の女御様はとっても性格が悪くて、桐壺の更衣にあからさまに粗末な扱いをしたという前例もあるんだし、不吉この上ないこと、と躊躇されたまま、すらすらと事が運ばないうちに后は亡くなられてしまった

こころ細き様にておはしますに、ただわが女みこたちと同じつらに思ひ聞こえん といとねんごろに聞えさせたまふ
宮様は一人、心細くお過ごしになっているところに、ただ、わたしの娘の皇女たちのようにお思い申し上げますので、と熱心にお誘いなさる。

さぶらふ人々、御後見たち、御せうとの兵部卿のみこなど
お仕えする方々、母后のご実家の方々、兄の兵部卿の親王などは

とかくこころ細くておはしまさむよりは、内住みせさせたまひて御心も慰むべく などおぼしなりて まゐらせたてまつりたまへり
とかく家にいて心細くてあるよりは、宮中にお住まいになったほうが、お心も慰められることになるでしょう などと思うようになって、参内させることとなった。

2010年11月10日水曜日

藤壺

藤壺と聞こゆ
藤壺と申し上げる

げに御かたち、あり様、あやしきまでぞおぼえたまへる
本当に、お顔立ちや、立ち姿、不思議なほど、桐壺にそっくりに感じられます。

これは、人の御きはまさりて、思ひなしめでたく、人もえおとしめきこえたまはねば、うけばりて飽かぬことなし
この方は、際立ってご身分が高い方なので、思いなしに見事で、誰もこの方をおとしめることもなければ、誰はばかることなく、不満もない。

かれは、人の許しきこえざりしに、御こころざし、あやにくなりしぞかし
桐壺は、身分不相応だったために、帝のご寵愛があいにくとなってしまった。

おぼし紛るとはなけれど、おのづから御心うつろひて、こよなう思し慰むやうなるも あはれなるわざなりけり
桐壺を忘れることはなかったのだけれども、自然と藤壺に心が移っていき、こよなく心がなごんでいくというのも、人の心の機微であった。

源氏の君は、御あたり去りたまはぬを、ましてしげく渡らせたまふ御方は え恥ぢあへたまはず
源氏の君は、いつも帝の側にいるので、まして頻繁にお渡りになる藤壺は 恥てばかりはいられず

いづれの御方もわれ人に劣るらむと思いたるやはある、とりどりにいとめでたけれど、うち大人びたまへるに
どの方も、わたしは人より劣っているとは誰が思うでしょうか、それぞれに大層みごとなご様子ですが、大人びていらっしゃるのに対して、

いと若う、うつくしげにて、せちに隠れたまへど、おのづから漏り見たてまつる
たいへん若くて、可愛らしくて、一生懸命隠れようとされるけれども、自然とお姿が拝見される

母御息所も、影だにおぼえたまはぬを、いとよう似たまへりと 内侍のすけの聞こえけるを、若き御心地にいとあはれと思ひきこえたまひて、常に参らまほしく、なづさひ見たてまつらばや とおぼえたまふ
母上も、影すら覚えがないけれども、たいへんよく似ていらっしゃいます と内侍のすけが申し上げるので、若いお心にも哀愁が沸き起こり、常にお部屋に参りたく、お側にあがって、なんとかお目にかかってみたいもの と思うようになる

上も、限りなき御思ひどちにて、な疎みたまひそ、あやしくよそへ聞こえつべき心地なむする
帝も、限りなく思いが深いもの同志であるので、よそよそしくしなくていいですよ、私には二人が不思議と、他人とは思えないように感じられるのです

なめしと思さでろうたくしたまへ、つらつきまみなどは、いとよう似たりしゆゑ、かよひて見えたまふも似げなからずなむ、など聞こえつけたまへれば
ぶしつけと思わないで、やさしくしてあげてください。あなたは、お顔立ちや目元などは本当にこの子の母親ににているから、心が自然にかよってしまうのも、仕方のないことなのですよ、などどおっしゃるので、

幼心地にもはかなき花、もみじにつけても心ざしを見えたてまつる
幼い心でも、春の花、秋の紅葉と、四季折々のこころざしをお伝えする