2010年12月24日金曜日

御局は桐壺なり

はじめよりおしなべての上宮仕へしたまふべき際にはあらざりき。おぼえいとやむごとなく上衆めかしけれど、
この君の母君は、もともと入内の頃より、並々のお側仕えの女官などとは違う身分であった。人望もたいへん厚く、気品もあるのだけれども、

わりなくまつはさせたまふあまりに、さるべき御遊びのをりをり、なにごとにも故ある事のふしぶしには、まづ参う上らせたまふ
帝が、分別なしに、お側にまつわせることが頻繁なあまりに、管弦の遊びの折々、なにごとであっても、故のある催しごとにつけては、お側近くにお呼びになられている。

ある時には、大殿籠り過ぐして、やがてさぶらはせたまひなど、あながちにお前去らず、もてなさせたまひしほどに
ある時には、一夜を過ごされてそのままお部屋に侍らせておかれるなど、感情のままに
ただ引き留めて、お側においておかれるようなこととなると、

おのづから軽き方にも見えしを、この御子生まれたまひて後は、いと心ことにおもほし掟てたれば、
どうしても軽々しい身分のように見えていたものでしたが、この御子さまご誕生後は、心が変わったようにお取りはからいになるので

坊にもようせずばこの御子の居たまふべきなめりと、一の御子の女御はおぼし疑へり
悪くするとこの御子は春宮にもなりかねない、と一の御子の母上である弘徽殿の女御は思い疑うのである。

人よりさきに参りたまひて、やむごとなき御思ひなべてならず、御子たちなどもおはしませば、この御方の御いさめをのみぞ なほわづらはしく心苦しう思ひ聞こえさせたまひける
人よりも先に入内されて、尊い身分は並びようもなく、ほかの御子たちなどもいらっしゃるので、弘徽殿の女御のお諌めには逆らえず、心苦しくお聞きになるのである。

かしこき御蔭をば頼みきこえながら、おとしめ、疵を求めたまふ人は多く、
恐れおおい御蔭を頼りにしてはいるけれども、おとしめあら捜しをする人は多くいて、

わが身はか弱く、ものはかなきありさまにて、なかなかなるもの思ひをぞしたまふ
わが身はただ弱く、はかない有様で、どちらにもつかないような物思いをされる。

御局は、桐壺なり
お住まいになられている局は、桐壺である。

あまたの御かたがたを過ぎさせ給ひつつ暇なき御前渡りに、ひとの御心をつくし給ふも、げにことわりと見えたり
たくさんの方々の部屋の前を通り、頻繁に帝のもとへと渡られるたびに、人は心をなくしていく、それも道理であると思われるのだ。

まう上り給ふにも、あまりうちしきる折々は、打橋、渡殿のここかしこの道に、あやしきわざをしつつ、御送り迎への人の衣の裾堪へがたう、まさなきことどもあり
それがあまりに頻繁になると、ここかしこの渡り廊下などに糞が置かれて、送り迎えの方の衣の裾はひどい有様で、耐え難く、常軌を逸した多くのことがあり、

又、ある時は、えさらぬ馬道の戸をさしこめ、こなたかなた、心を合わせて、はしたなめ、わづらはせ給ふ時も多かり
またある時は、馬の道になっているところで、あちらとこちらでタイミングを合わせて、行き場がないように戸を閉めてしまい、きまりわるく、困らせてしまうようないじわるをする時も多かった。